大切な人にチョコなる菓子を贈る習慣が、いつどこで発祥したのか定かではない。だが、冒険者を中心に少しずつ広まりつつあったそれは、今年、あの天晶堂をも巻き込んだ騒ぎとなって、ヴァナ・ディール中に伝わった。
「バブルチョコ」には感謝を込めて、「ハートチョコ」には想いを託して相手に贈る、奇妙な一日。
諸説があって名称すらもハッキリしないこの記念日は、数年前までは決して一般的なものではなかった。
それというのも、チョコの材料の1つである「ククル豆」の流通量が極めて少なく、どの国の食料品店や露店でも、チョコを販売していなかったためである。
それでも、この奇妙な習慣に興味を抱いた冒険者たちは、どこからかレシピを聞き出し、来るべき日に備え、密かに数週間前から準備し始めていたようだ。
この時期、調理ギルドへと足しげく通っていた者の中には、手作りチョコをプレゼントすることが目的の純粋な者もいたようだが、大半はチョコの価格高騰に乗じて一山当てようと目論む者たちだったらしい。
そうなると、当然、「ククル豆」の供給量が懸念されるが、それを見越して栽培に精を出していた冒険者たちによって、少なくなるどころか、市場に出回る量は日増しに増えていたようだ。
そこに商機を見いだしたのが、天晶堂の商人である。彼らは、ヴァナ・ディール各地に、「ククル豆」など、チョコの材料を専門に販売する露天商を、いち早く派遣したのだ。
本紙特派員の報告によれば、この噂を聞きつけて集まった冒険者のほとんどが、価格を見るなり「高い!」と苦笑まじりに文句を言っていたらしい。それも道理で、天晶堂は競売所などで取り引きされていた相場の4倍近い価格を、「ククル豆」につけていたのである。
しかし、それを見て奮いたった冒険者がいた。「ククル豆」を栽培していた者たちである。天晶堂のあこぎな露天商によって、市価の4倍まで価格を釣り上げられることが暗に示されたことで、より一層「ククル豆」の栽培に勤しんだのだ。
その結果、記念日までの数日間、天晶堂の価格が最高値の基準となった「ククル豆」は、競売所を介して高値を維持し続けたのである。
天晶堂が派遣した露店に冒険者が群がることこそなかったが、競売所と違い常に在庫があるため、仕方なく買いに来る客も少なくなかったようだ。計算高い天晶堂のこと、流通量を裏で調整して相当の益を出したに違いない。
記念日の前日、調理ギルドの前に陣取った露天商の横で、チョコを作るミスラの姿があった。彼女は特派員に、こうコメントした。
「新米の頃から、いつも一緒にいてくれる人に、ハートチョコを渡したくて、チョコ作りを始めたんです。でも、なかなかできなくて……」
商人たちが、さまざまな思惑を交錯させていた一方で、冒険者たちは、それぞれの想いを胸に抱いて、特別な日を迎えたのである。
たった1つのチョコに、一喜一憂しながら……。