読み物『ヴァナ・ディールの女たち』
第15回 木漏れ日

「……愛する者のため、信仰に命を賭する……。思い悩んだ末の結論なのかもしれないけれど……、それでは誰も幸せになれないんだ」

勢いを増してきた雨に打たれるまま、私たちは身じろぎもせずにいた。

「どうしたらいいか、もうわからないのです。今はただ、女神様の御許に向かいたい……」
「女神様は、本当にそんなことをお望みだろうか?」

娘は、長いまつ毛を伏せて黙っていた。まるで泣き出す寸前の幼子のような顔をした彼女を見つめるうちに、私も言葉を失ってしまった。

出会ったばかりだったが、私は彼女の苦しみが痛いほどわかるような気がしていたのだ。

20年前、父と兄の迎えを待ち続ける苦しみに耐えかねてサンドリアから逃げ出した自分と、娘の境遇が似ていたからだろう。だからこそ、彼女には同じ選択をしてほしくなかった。

私は、彼女の頬に残っていた泥水を、指先できれいに拭った。

写真 その時だ。バシャバシャと水溜まりを軽快に走る何かの足音がどこからともなく近づいてきた。もしかして……。

はっとして辺りを見回した私の目が捕らえたのは、見覚えのあるチョコボの姿だった。そして、それに乗っていたのは、まさしくソロムグ原野で出会ったエルヴァーンの学者だった。

「……君!! 止まってくれ!」

勢いよく走っていたチョコボが、手綱を引かれて急に止まった。

「あれ、奇遇だね。こんなところで何してるの?」

そう言った直後、学者は娘の様子に気がついたらしい。ひらりとチョコボから飛び降りると、事情を説明しようとしていた私の横を素通りして、まっすぐ娘の方に歩み寄っていった。

「はいはい。その足、ちょっと診せてごらん」

彼女は、怪我をした時の状況についていくつか質問をしながら、手際よく娘の右足の木綿布を解いていった。 初めて会った時は、地質を研究している学者だとしか聞いていなかったが、医術の心得もあるようだった。

それから彼女が沈黙した十数秒間は、私には恐ろしく長い時間に感じられたが、ただ見守るしかなかった。

やがて、娘の右足の状態を調べ終えた彼女は、側に生えていた木の枝を折ると、それを添え木として当て、再び上から木綿布をしっかりと巻きつけた。

「しばらくは歩いちゃだめ。いい?このままジュノの医者のところまで連れてくよ」

娘は、何か言おうとして口を開いたようだったが、せっかちな学者は彼女の返事を待たずに続けた。

「旅なんてさ、この怪我治してからでもいいでしょ? それにここは、あんたみたいなお嬢さんひとりじゃ危ないんだから、次は冒険者とでも一緒においで」

娘は、まばたきもせずに空中の一点を見つめた。すると次の瞬間、両手で顔を覆って泣きだした。その様子に驚いたらしい学者は、くるりとこちらを振り返って、眉をひそめた。

私が黙って頷くと、彼女は不思議そうに首をかしげてみせたが、説明を求めたりはしなかった。彼女のそういうところは、実に気が利いていた。

娘は、堰を切ったように声を上げて泣いていた。ずっと彼女の心を閉じこめていた何かが一気に弾け飛んだのだろうか、もはや、彼女自身もそれを止めることはできないようだった。

写真 ありったけの涙を流しきった後、ようやく顔を上げた娘は、涙を袖で拭い、乱れた前髪を整えた。それからゆっくり深く呼吸をすると、まるで別人のように凛々しく、清々しい表情をして言った。

「……ジュノへ連れていってください。どうかお願いします」
「よし、さっそく出発するよ! その決心が揺らがないうちにね」

学者の威勢のいい声を合図に、私は娘を抱き上げ、注意深くチョコボの鞍に乗せた。チョコボは、彼女を歓迎するかのように一声鳴いてみせた。

「おふたりに助けられたのも、女神様の思し召しかもしれません。ですから、今はジュノへ戻って彼の帰りを待とうと思います。けれど……」

次の言葉は、あまりにも意外だった。

「もし彼が帰ってきたら、もう二度と、ひとりで待ち続けたりはしない。剣や魔法を習って、彼と一緒にどこまでも行きます……!」

虫一匹殺せないような町娘が冒険者になろうなど、無茶な話ではないか。私は、よほど止めようかと思ったが、その笑顔を目の前にしては、何も言えるわけがなかった。

娘の頬を明るく照らし出す木漏れ日に、いつのまにか雨が止んでいたことに気づかされ、私は初めてこの地に足を踏み入れた時と同じように木々を見上げた。

雨上がりの森は精気をたたえ、小鳥たちは天高く羽ばたいていく……。すべてが、娘を祝福しているかのように見えた。

「それじゃ、あとは任せて。安全運転で行くから心配しないで」

学者はそう言うと、後ろに乗せた娘にしっかりつかまるように指示した。娘は少しとまどいながらも、学者の腰に腕を回した。

「……ありがとう。頼んだよ」

チョコボは、静かに歩きだした。

娘は一生懸命に後ろを振り返って、いつまでも手を振っていた。

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