いよいよ大地に呑まれようという最期の瞬間、夕日は金色の光を放ち、山々の稜線をくっきりと描き出した。タルタルの娘は、その光が消えるのを見届けてから、再び口を開いた。
「あなたは、メリファトの大地から啓示を受けたのですね」
「……啓示? 何だってまた、私のような旅人に?」
「そんなに驚くことではありませんよ。あなたも、この大地の一部なのですから」
娘の一族は、大昔からメリファトの地に暮らしてきたという。だからなのか、彼女の自然に対する考え方は、街の人間とまったく違っているようだった。
いつまでも返す言葉を見つけられずにいた私に、彼女はゆっくりと語り始めた。
「それは、遠い昔のこと……。天には、ドロガロガという大きな龍が住んでいました。 人間たちは、ドロガロガが機嫌ひとつで招く天災に脅かされてきましたが、それでも祈りを捧げることを忘れませんでした。 なぜなら、彼らの暮らす大地に恵みの雨をもたらすのも、またドロガロガだったからです」
ドロガロガは単なる脅威ではなかったようだ。昔の人々が畏れながらも敬っていた、おそらくは神に近い存在だったのだろう。
「それなのに……。時が流れ、やがて新たな力を手に入れた人間たちは、世界を思いどおりにしようと考えるようになりました。 そしてある晩、悲劇が起こりました。思い上がった愚かな人間たちが、ありったけの力を集め、ドロガロガの寝込みを襲ったのです」
夢の最後に見た壮絶な光景……。あれはドロガロガの最期だったのか? 私は、自分の体が微かに震えているのに気づいた。
伝承が真実だとは思っていない。それでも私は、全身で感じたのだ。ドロガロガは、確かに存在していたのだと……。
ふと我に返って隣を見ると、娘の姿がない。彼女は、いつの間にかドロガロガの背骨によじ登ってこちらを見ていた。
「伝承は、こう締め括られています。……いつしかドロガロガの亡骸は朽ち果て、大地の一部になりました。その肉はメリファトの山々となり、その背骨は……」
「こうして大地に残されたまま、というわけか」
私の返した言葉に、娘は頷いた。
「ドロガロガの縄張りだった地は、それきり、水の恵みに見放されてしまったそうです。かつては緑豊かな地だった、ここメリファトも例外ではなく、見てのとおりの荒野に変わり果てて……。やがて人々は、やせ干からびた畑を捨てて、別の土地へ移っていったといいます」
無理もないだろう。ここは、人々が暮らしていくには、あまりにも過酷な環境なのだから……。
乾いた風が、いたずらに土埃をまき散らしていった。
「君の一族は、なぜここに留まっているんだ?」
「さあ、なぜでしょうね。……そういえば、亡くなった曾祖母がよくこんなことを言っていました。 “人間には、自然を従えることなんてできないんだ。だから、共に生きていくのがいちばんいいんだ”って。 もしかするとわたしたち一族は、それを肝に銘じながらここに暮らすことで、自らの内にも潜んでいる魔物を封じ込めようとしてきたのかもしれません。荒ぶるドロガロガよりも恐ろしい“おごり”という名の魔物を……」
まるで伝承の続きでも聞かせるかのように、娘は静かに語った。
この先もずっと彼女の一族は、この荒野と共に生き続けるのだろう。すべてをあるがままに受け入れて、慎ましく、そして逞しく……。
娘を見送った後、私は満月の光を頼りに、ドロガロガの背骨によじ登ってみた。
精巧な透かし彫りにも似た格子状の斜面は、ひんやりとして心地よく、昼間の暑さが嘘のように思えた。
久方ぶりに長袖の上着を取り出してみると、内ポケットから小さな金属製のボトルが出てきた。幸運なことに、中には古い酒が残っていた。
私はドロガロガと月見酒を酌み交わすつもりで、そのひと滴を背骨に落とした。