6月7日
僕の参加した巡礼団の人々は、家族や恋人など大切な人を戦災で失っていた。彼らは、このロ・メーヴへの過酷な道程が、楽園の扉を開くための試練と考えているらしい。

母国を滅ぼされたという神学者の老人は、今日も焚き火のそばで人と獣人の誕生にまつわる伝承を皆に説いて聞かせている。

楽園の扉をこじ開けんとした太古の人々の慢心と末路。アルタナの慈悲の涙から生まれし新たなる人間たる我々。プロマシアが人間と争わせんと創りし獣のごとき心の人々……。

だけど、今の僕にはその伝承がひどく虚しいものに聞こえる。

女神よ、迷える巡礼者に光明を与えたまえ。

6月8日
皆が寝静まった後、火の番をする神学者の老人から、目的地のロ・メーヴについて教授してもらっている時だった。突然、背後から長い髭を生やした獣が襲いかかってきた。

老人を助けようと、獣の注意をひきつけて必死に逃げた。何とか執拗な追跡をふり切ったものの、気づいたときには、僕はどこをどう逃げてきたのか、まったく分からなくなってしまっていた。

今夜はこの木のうろで野宿して、明日からはロ・メーヴのあるという北の方角に歩いてみようと思う。

女神よ、巡礼団の皆を護りたまえ。

6月16日
門をくぐると、そこは白い壁に囲まれた神域だった。

まっすぐ北に延びる緩やかな階段の先に見える本殿。その尖塔の先端には、北極星が瞬いていた。

何日、森をさまよったことだろう。ついに僕はロ・メーヴにたどり着いたのだ。

だけど、ここには人の気配がまったく感じられない。巡礼団はまだ暗い森の中にいるのだろうか。

僕は、この門の下で夜を明かし、暁の時を待って本殿に参ることにした。もしかすると、皆も後から到着するかもしれない。

女神よ、聖なる地で休む非礼を御赦しください。

6月17日
夜半過ぎ、誰かに名前を呼ばれた気がして目を覚ました。見上げると、淡い月明かりが、神殿に降りそそいでいた。

まだ、巡礼団の誰も姿を見せない。僕は夜明けを待たず本殿に参ることにした。

倒れたままの石柱や番兵のように立つ不気味な巨像をさけながら、ゆっくりと階段を上った。

間近で見る本殿は、王都の大聖堂でさえ比べ物にならないほどの威容を誇っていた。

僕は深呼吸して、足を踏み入れた。天井から差し込む月光が、列柱の間に延びる階段をやわらかく照らしていた。吹き抜ける風音にのって、かすかに聖歌が聞こえてきたような気がした。

階段を上り終えると、3つのクリスタルが埋め込まれたアーチ状の門に出た。「本殿の広間に女神様が奉られている」という神学者の老人の言葉を思い出して、僕の足はガクガクと震えだした。

無意識に何かにすがろうとしたのか、僕はポケットの中のものを握りしめていた。すると、今まで出会った人や獣人たちが脳裏に浮かんできて、不思議と足の震えは薄れていった。それはランペール金貨だった。

そのまま広間へと進んだ僕は、息を呑んだ。女神アルタナの御姿が目に飛び込んできたのだ。

広大な広間の奥から、まるで迎えてくださるかのように、女神様が両手と翼を広げていた。

僕はその御姿に、かつてない至福を感じた。

女神様の慈愛につつまれる歓びを、すべての人や獣人が共有すれば、世界から争いはなくなるに違いない。熱い思いが僕の頬を濡らした。

その時、僕の手から金貨がこぼれ落ちた。小さいけれどもよく響く金属音が、広間にこだました。

その音で我に返った。

金貨を拾い上げた僕は、名も知らぬ神々が左右に並ぶ身廊をゆっくりと歩き、広間中央の祭壇に上った。そして女神アルタナを正面にひざまずき、問いかけた。

「なぜ! 私たち人と獣人は憎しみ合い、争わねばならないのでしょうか!?」

だけど、女神様の御声が僕の耳に届くことはなかった。再び、静寂が辺りを包んだ。

もう一度、同じことをお尋ねしようと女神様を見上げた時、僕は気がついた。

女神様は、祭壇を見下ろされてはいらっしゃらない、と。

まるで、僕の背後にいる誰かを……。おそるおそる振り返ると、そこにはもう1体の神像が奉られていた。

暁の女神と向かい合う、黒き翼の神。黄昏の男神プロマシアだった。

鎖と拘束具で自由を奪われた腕と翼。目深にかぶった頭巾の下をうかがうと、そこに顔はなかった。

その束縛された様子は、まるで自らを戒めているかのようにも見えた。

これが女神アルタナの所業をとがめ、人に争いが絶えぬように仕向けた神の姿だというのだろうか。

どのくらい立ち尽くしていたのだろう。僕の頬にやわらかい光があたった。

いつの間にか夜が明け、はるかに高い天井から朝日が差し込んでいたのだ。

その光は8体の神像、そして男神プロマシアの像も照らしていた。

やがて陽光が僕の全身を包んだ時、女神様の温もりに触れた気がして、僕は振り返った。

白き翼の女神様は、両手を広げて微笑んでいた。まるで、すべてのものを両の腕に抱れるかのように……。

女神様は、母なる世界のすべてをお認めになろうとされている。

僕は、ついに答えを見つけた気がした。僕が求めるべきは、人と獣人が争う理由ではなく、互いに理解し合うことなのだ、と。

たとえ人と獣人が憎しみあうことを宿命づけられていたとしても、互いを知り、理解を深めれば、いつかはその呪縛すら解けるかもしれないのだから。

もし、生きてサンドリアへと戻ることができたなら、僕は人々が獣人への理解を深めることに生涯を捧げよう。

女神よ、我が誓いが天命であらんことを。

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