Ranperre R D'Oraguille(739 - 832)
第24代サンドリア王。在位782 - 832年。龍王のふたつ名で知られ、ドラギーユ家歴代当主中、もっとも偉大な王と賞賛する史家も多い。

サンドリア王国分裂期、西サンドリアの皇太子ハシャンラージュ(後の哲王)の長子として生まれた。幼少より利発で殊に戦史を好み、武芸にも秀でていたため、その前途を嘱望されたが、長ずるに従って数多の貴婦人と浮名を流す道楽者としてむしろ知られるようになり、齢40を過ぎるまで王位継承権すら危ぶまれる有様だった。

しかし、父王が謀殺されて渋々王に即位した翌年、北方視察旅行から帰還すると、人が変わったように精力的に政務に励むようになり周囲を驚かせた。減税策をとって商人の支持を獲得。それを利用して内外より多民族を含む優秀な人材を募りつつ、他国出身軍師の献策に応じて軍制改革にも着手し、装甲歩兵を中心とする新隊形を採用して軍の強化に努めた。

804年、絶対優勢と思われていた東サンドリアに満を持して侵攻すると、他国の関与を退けつつ支配地域を拡大。815年、二王会戦においてギョホンベール率いる東サンドリア軍に決定的勝利を収め、ついにサンドリア王国の再統一を成し遂げた。

統一後は東サンドリアで要職にあった者も積極的に登用し、所領の多くを安堵することで国内の安定を図りつつ、オーク族の駆逐作戦や黒龍討伐などに自ら参戦して武名を高め、諸外国に付け入る隙を与えなかった。
最晩年は、政務のほとんどを若き腹心ペリデュークに任せ、自らは秘密裏に進められていた王墓の建設に執心。かつて戦った黒龍と契約を交わして死後の墓守を命じた、と云う噂がある。

Illustration by Mitsuhiro Arita