Friese(657 - 698)
共和国黄金銃士隊初代隊長。

貧家に生まれたため、幼くして家を出てガルカ鍛冶の徒弟となった。19の時、彼女の設計した歯車が工務省高官の目に留まり、コンシュタット風車群建設に招喚されて参画。新式の回転帆を実用化させ、技術者として名声を博した。

その後、建設中に見聞した獣人支配地域の経済や資源に関する情報を論文にまとめたフリーゼは、それを手に鉱務大臣に接近。クゥダフ族をもっとも知る者として、当時他国の鉱脈を探るために鉱務省内で編制中だった武装調査隊「黄金銃士隊」の隊長に収まった。

684年、黄金銃士隊はパルブロ山に有望なミスリル鉱脈を発見。翌年、その手柄を実績とするため、大統領に掛けあって共和軍団の千人隊をも借り受けたフリーゼは、同山を住処としていたクゥダフ族に対し、苛烈な掃討作戦を展開。パルブロ山を占領した(後にクゥダフ族に「赤き炎と血の日」と記憶される事件である)。

帰国して後、共和国を沸かせるミスリル景気のきっかけを作った彼女の行動は大きく報じられ、配下の黄金銃士隊も名声をほしいままにしたが、やがて首府における傍若無人な彼女ら銃士の振る舞いが目立ち始め、それに反発する市民の声もまた高まっていった。そこで時の大統領シュライバーは発足間もない直属の特務隊「ミスリル銃士隊」に黄金銃士隊を内偵させて彼らの罪状を摘発。フリーゼこそ不起訴となったものの多数の黄金銃士が処刑され、その力は殺がれた。

691年、共和国に侵攻してきたサンドリア軍との決戦が計画されると、フリーゼは寡兵の黄金銃士隊を補うため、プライドを捨てて巨人傭兵まで編入して参陣。第二次コンシュタット会戦において鬼神の如き活躍をみせて、共和国軍勝利に貢献し、汚名をそそいだ。

698年、パルブロ山を調査中に落盤事故で死亡。

Illustration by Mitsuhiro Arita