Erpalacion B Chanoix (768 - 816)
サンドリア二王朝時代末期から現統一王朝早期に活躍した竜騎士。王立騎士団長。

西サンドリア側の伯爵家に仕える鷹匠の6男として生まれた。9歳の折、傷ついた自分のペレグリン(※1)を守るため、たった1人でラプトルと戦っているところを、遠乗り中のランペール皇太子(後の龍王)に助けられ、それがきっかけで側に仕えることになった。

小姓時代、ロンフォールの森を散策中、飛竜を優雅に操って獲物を仕留める、年老いた竜騎士を目撃して心を動かされたエルパラシオンは、ランペールの許諾を得てその老将に師事。天賦の才に恵まれていたうえ鷹匠の素養もあったため、次々と技を習得し、わずか16で奥儀「竜剣」を伝授されて免許皆伝を得た。

やがて王国騎士に叙任されると、見聞を広めさせんとするランペール王の意志によりタブナジア侯国の監察役を命じられ、当時世界中から交易船が訪れていた侯都に赴任。

786年、タブナジアの戦艦に観戦武官として乗艦したエルパラシオンは、偶発的に起こった戦闘(※2)に参加。足の遅い僚艦にミスラ海兵を乗り移らせようと迫るウィンダス軍の魔行艦に、逆に次々と飛び移って先制攻撃を加えて、その接舷を阻止。愛竜アストルと共に7隻もの敵艦を操船不能とする大戦果を挙げ、内外に武名を轟かせた。

帰国後は王国大騎士として手勢を率い、険峻なゲルスバ山をものともせず、オークの駆逐に活躍。寡黙だが常に兵士と寝食を共にし、その安全に配慮してくれるエルパラシオンに、前線の騎士の間では次期騎士団長に推す声まで上がり始めたが、出自が低い上、時代遅れと目されていた竜騎士継承者に騎士団を任せることに、子弟を騎士として捧げていた貴族の多くが反対し、その声はかき消された。

793年、東サンドリア軍との小競り合いで王立騎士団長が戦死。再びエルパラシオンの団長就任を求める声が辺境の騎士の中で高まるにおよび、「神君ランフォル公もまた、庶民であり竜騎士であられた」と反対派をランペールが一喝。エルパラシオンは史上最年少で王立騎士団長に就任した。

その後、東サンドリアとの戦いが本格化する中、ランペールの右腕として数多の戦場に身を投じ、最大の戦いであった二王会戦にも、自ら危険な陽動部隊を買って出て勝利に貢献した。しかし、サンドリア王国再統一が果たされた翌年、ノルバレンの東サンドリア派残党を鎮圧した帰路、兵を残して突如陣屋から姿を消してしまい、大捜索も空しく何の痕跡も発見されず、王命により遺体なきまま国葬に付されることとなった。

彼を最後に継承者が一度途絶えたため「最後の竜騎士」として知られるエルパラシオンは、その不名誉な最期もあって、個人的武勇はともかく将としての資質は史家によって評価が大きく分かれている。

※1
ペレグリン:鷹狩に適した俊足のハヤブサ。現代では稀少動物となってしまったが、エルパラシオンの考案した独特の騎槍に、その名を残している。

※2
エルシモ海戦のこと。海賊討伐の名目でエルシモ諸島近海に差し向けられたバストゥーク、タブナジアの連合艦隊とウィンダス艦隊との間で行われた。激戦が繰り広げられたが、装備と士気に勝る連合艦隊が辛くも勝利した。大義はともかく、実体は3ヶ国による海上交易の主導権をめぐる争いであったようだ。


Illustration by Mitsuhiro Arita