Gwynham Ironheart (688 - 765)
バストゥークの航海者。冒険家。測量家。
幼い時分に戦争で父をなくし、5人の兄姉と共に母の細腕ひとつで育てられた。若い頃は首府の港で働いていたが、当時流行していた鎖死病で母が他界すると、家を出て商船に乗り込むようになった。

40代の頃、その航海経験と洞察力に目をつけた東エラジア社(※)にスカウトされ、外洋交易船の船長に就任。マウラやカザム、時には危険を冒してイフラマド王国やアトルガン皇国にまで足を延ばして交易に従事した。
期日を守る船長として社の評価も高く、順風満帆の人生を歩んでいたが、747年、なぜか秘密の航路がばれてミスラ海賊の待ち伏せに合い、船は遭難。長い漂流の末に自身の命こそ長らえたものの、すべての積荷と乗組員を失ってしまい、帰社後、査問会にかけられて懲戒解雇された。

しかし、これを契機にグィンハムは、旅の安全こそがヴァナ・ディールの急務であると考え、一念発起。全土の精確な地図作成を企図して、初老にして冒険家に転身した。

手始めにクォン大陸踏破を目標に徒歩で始めた旅は、まさに雲を掴むようだと当初は物笑いの種だった。しかし、やがて彼の作成した地図の正確さが船乗りや旅人の間で評判になり始めると、サンドリア王国やバストゥーク共和国もその必要性と危険性を無視できなくなり、後に資金と人材を援助するようになっていった。

その後、グィンハムはクォン大陸最後の秘境バルドニアを調査中、オークの襲撃によって志半ばにして壮絶な最期を遂げたとされるが、当時まだ幼少であった娘のエニッドが、後に父の業績を知り、遺志を継いでミンダルシア大陸を踏破。ヴァナ・ディール中央二大陸の地図は一応の完成をみた。

それから百年後、飛空艇の登場によって地図の驚くべき精度が証明され、その業績は再評価された。そして、彼らの血と汗の結晶である地図は、今も彼らと同じ旅人や冒険者によって様々な追記が加えられつつ、用いられ続けている。

バルドニアに残された彼の墓碑には、ライバルであったサンドリアの探検家オルデール卿によって次の言葉が刻まれている。
「世界に安全をもたらしたもっとも危険な男、ここに眠る」

※東エラジア社
近東や南方諸国との貿易を促進するため、タブナジアの貿易商が中心となり設立した会社。後に莫大な財力を背景に、タブナジアやバストゥークから海上での裁判権や交戦権などの様々な特許を獲得し、最盛期には小国家を凌駕する隠然たる権勢を誇っていた(海賊討伐に端を発するエルシモ海戦も、同社の意向に因るところが大きかったようだ)。しかし、タブナジア侯国滅亡後は、本拠地と後ろ盾を一気に失い、急速に経営が悪化。天晶堂やブルゲール商会の台頭に、飛空艇就航による既得権の喪失も重なり、縮小に縮小を余儀なくされ、879年ひっそりと解散した。


Illustration by Mitsuhiro Arita