ハフマン紛争レポート号外  イベント「54 -FIFTY FOUR-」結果発表!

O.C.U.、U.S.N.両軍のセクター32「フリーダム北西部」をめぐる争いは、歩兵同士の小競り合いに端を発し、停戦期間中にもかかわらず大規模なものへと発展した。
これを好機とし、短期間でのセクター制圧を目論んだ両陣営が同セクターに兵力を集中させたことで、戦闘は苛烈さを極めた。

約54時間後、O.C.U.陣営が同セクターを制圧したことで、一連の戦いは一応の決着をみた。
同時にハフマン島に到着したPMO(恒平和維持機構)により、停戦協定が仕切りなおされ、両陣営ミサイル基地で行われていた弾道ミサイルの発射準備に対しても停止命令が発令された。これにより停戦期間中のハフマン島は、空から降り注ぐミサイルの雨を免れたのである。

激戦区の状況

[6月8日 21時00分]

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中立セクターであるセクター32「フリーダム北西部」を挟み、睨み合いを続けていた部隊が衝突してからわずか5時間後、U.S.N.は持ち前の進軍の速さを生かし、同セクターにおける制圧率を一気に上昇させることに成功。
さらにU.S.N.は、同セクターにおける作戦内容を、第2段階の「誘導ビーコン設置」に切り替えた。

[6月9日 17時00分]

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翌日O.C.U.は、セクター32に隣接し、同セクターへの補給ルートとなっているセクター39「フリーダム北東部」への攻撃を開始。U.S.N.に対して揺さぶりをかける陽動作戦に出る。これに対し、U.S.N.が迎撃と防衛に全力を注いだ結果、セクター32における同軍の守りは手薄となり、制圧率は徐々に低下していった。

[6月9日 19時00分]

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陽動作戦によって形勢を逆転させたO.C.U.は、すぐさまセクター32への攻撃を再開する。これにより、一度はU.S.N.が手中に収めたと思われた同セクターの制圧状況は、振り出しに戻った。

[6月10日 0時00分]

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O.C.U.は、そのままセクター32と隣接するセクター39への攻撃の手を緩めず、U.S.N.の補給ルートをデッドロック状態にすることで、ついにセクター32の制圧率で優勢となる。勢いに乗ったO.C.U.は、その作戦内容を「誘導ビーコン設置」段階へと移行した。

[6月10日 20時00分]

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U.S.N.は反撃を試みるが、O.C.U.はセクター32で鉄壁の守りのもとでビーコンの設置を進めると同時に、セクター39「フリーダム北東部」に圧力をかけ続け、その進軍を許さなかった。


そうして、O.C.U.優勢のまま、両陣営がミサイル発射準備に要すると予測されていた54時間が経過。直後にO.C.U.領内から発射されたミサイルは、セクター32のビーコンによって正確にU.S.N.領内へと誘導され、次々着弾した。

そのまま第2次ハフマン紛争が決着するかと思われたその時、PMO(恒平和維持機構)の本隊がハフマン島に到着した。
PMOはハフマン条約に基づき、大量破壊兵器にあたる大型弾道ミサイルの発射および発射準備の停止を命じた。
これにより、ミサイルの発射は急遽凍結され、両陣営は再び停戦状態に戻ったのである。

なお、今回の戦闘でセクター32に取り残されていたPMO所属の補給部隊は、同セクターを最終的に制圧したO.C.U.により保護され、その後PMOによって全員の生存が確認された。
この事実に対しPMOは、危険を冒して人命救助にあたったO.C.U.陸防軍の衛生兵らに謝意を表明したが、関係者の一部は、ヴァンツァーを含むPMOの物資がO.C.U.に一時的に供給されるとの見方を強めている。

記者:Frederick Lancaster

image補足:ドミトーリ公社製 Oboronaシリーズ
ザーフトラ共和国の国有兵器製造企業として唯一存在が確認されている、ドミトーリ公社で製造されたヴァンツァー。

大出力のエンジンと脚部に搭載した独自機構のアクチュエーターにより、強化装甲の重量を感じさせないほどの高い機動力を確保。
さらに、競合他社の前衛機を凌ぐ耐久力を誇り、突撃戦法によって過去数々の戦果をあげたことで知られる。

その外観でもっとも特徴的なのは、目のように配置された頭部のステレオカメラである。これらが収集する精度の高いデータは、戦闘で得られた他のデータと共に、後継機Vyzovシリーズ開発のために役立てられた。
現在Oboronaシリーズは、その特性を活かし、ミサイルを積載した後衛機としても活躍している。