遠い昔のこと、巨大な帆船が国と国を結び、大いに栄えていた時代がありました。
しかしあるとき、ググリュー洋を往復していた帆船が、謎の失踪を遂げる事件が相次ぎ、人々を震撼させました。船乗りたちは「伝説の海蛇リヴァイアサンが、海を騒がしている人間を戒めているのだ」と噂し、乗船を恐れるようになりました。
ググリュー洋の中継基地として潤っていた島国の貿易商たちは、交易が途絶えるのを恐れ、傭兵や海賊を雇い何度も討伐隊を派遣しました。しかし、彼らは適当に近海をまわって帰ってきたり、ワニの皮を持ち帰って「倒した」などと偽ったり、いっこうに解決しませんでした。
貿易商たちが最後に頼みとしたのが、元海軍提督のヴェーダルでした。ヴェーダルは“隻眼の鬼神”と恐れられた歴戦の英雄でしたが、今ではすっかり老け込んで、釣りを楽しみに海辺で暮らす隠居の身でした。最初、彼は貿易商たちの依頼に気乗りしない風でしたが、ともに老いた妻の一言で、そのひとつしかない瞳に若き日の輝きを取り戻しました。
「貴方にしかできないことがまだあるなんて、素敵なことじゃないの」
“勇将、立つ”の報は、またたく間に広まり、怖気づいていた多くの船乗りを奮い立たせました。
やがて、ヴェーダルは5隻のガレー船からなる艦隊を編制し、出航しました。乗り組むのは、彼を慕い集ったかつての部下や若い船乗りです。その中から、ヴェーダルが副官に選んだのは、彼が現役時代に手塩にかけて育てた優秀な男でした。
やがて、数日が過ぎた頃、ヴェーダルの指示で転進し、通常航路から外れた海域に向かった艦隊は、そこで衝撃的なものと遭遇しました。
それは、沈没したと思われていた無数の帆船が、無傷で漂っている光景でした。よく見ると、どの帆船にも巨大なツタのような植物が、船体に絡みついています。貿易商たちが、安全を軽視して航路を短縮させた結果の惨状でした。この辺りでは、この季節に海洋性のモルボルの亜種が繁殖することを知っていたヴェーダルは、はじめから真相を見抜いていたのです。
生存者も発見できず、リヴァイアサン討伐という目的も失った艦隊が、舳先を母港に向けたその夜、事件は起こりました。船団の右舷方向に、並走する小島のようなものが無数に出現したのです。見張りのひとりが叫びました。
「リヴァイアサンだ!!」
何十ヤルムもある巨体、ほのかに蒼白く輝くウロコ、それは紛れもなく伝説の海蛇でした。動揺する船乗りたちに、すかさず攻撃指令が発せられました。
それはヴェーダルではなく、副官の声でした。ヴェーダルの武勲を妬むようになっていた彼は、この航海でなんとしても功績を残したかったのです。
ヴェーダルが制止しようとしたときには遅く、リヴァイアサンに無数の銛が撃ちこまれていました。不意の攻撃に怒った海蛇は艦隊に襲いかかり、死闘がはじまりました。
ヴェーダルの的確な指示にも関わらず、ガレー船は次々と海蛇に沈められていきました。そして、ついに洋上に残るのが旗艦ただ1隻となったとき、彼は最後の指示を出しました。
絶妙の一瞬に出されたそれは、突撃命令でした。虚をつかれたリヴァイアサンの喉元に、深々と突き刺さる船首の衝角。それでもなお、リヴァイアサンは暴れるのを止めません。船首に駆けたヴェーダルは、腰の剣を抜き放って巨大な頭に飛び移ると、リヴァイアサンに呼びかけました。
「大海の守護神よ。汝を侮辱した愚挙を詫び、我が老首を奉げる。怒りを静め、部下の命を助けたまえ」
リヴァイアサンは、ヴェーダルを振り落とそうともがきながら、ともに海の底に沈んでいきました。
それから幾日かが過ぎ、ボロボロになった旗艦がついに帰港しました。新たな英雄として迎えられた副官は、ヴェーダルが怖気づいて逃げたと吹聴し、手柄と名声を自分のものにしてしまいました。
巨大な海蛇の死体が砂浜に打ち上げられたのは、副官のために華やかな凱旋パレードが開かれた翌日のことでした。その眉間に突きたてられた質素な剣が副官のものでないことは誰の目にも明らかでしたので、さまざまな憶測が飛び交いました。
ですが、なぜ深手を負ったリヴァイアサンが、こんな遠方まで泳いできたのか?理解できたのは、勇将の老いた妻と数名の古い部下だけでした。
昔から海を見ていた女神は、命を賭して部下を救ったヴェーダルと、好敵手の汚名を晴らしたリヴァイアサンの勇気をたたえ、2人を天へと招き、その雄姿を空にとどめることにしました。