読み物 修道士ジョゼの巡歴
第3歩 岩窟のサハギン族

8月22日
昼なお暗いユタンガの森を抜けた所で、ゴブリンの辻強盗に囲まれて難儀しているサハギンと出会った。

慌てて仲裁に割って入ったものの、ゴブリンも獲物がおしいと見え、聞く耳をもたない。結局、ことを丸く収めてくれたのは、リーダヴォクス(Leadavox)だった。カバンからメロンを取り出し、一口かじって見せたのだ。

「エルシモの兄弟たち。これは美味しいクゾッツの果物だよ。欲しかったら、その魚、見逃しとくれ」

多分、ゴブリン語で、そんなことをいったのだと思う。ゴブリンの辻強盗たちは、果物を頬張りながら、手を振って森に消えていった。

「あんたたちは命の恩人だ。礼をしたいな。ついてきてくれ」

写真 ドゥルと名乗ったサハギンの男は、流暢な共通語で語ると、我々を岩窟の入口に案内した。魚が腐ったような異臭が内部から漂っていた。僕は鼻をつまみ、真っ暗な中、所々にある魚油の灯火だけを頼りに岩窟を下っていった。

やがて、大きな広間に出た。そこでは大勢のサハギンがいて、大忙しで宴の準備を進めていた。

元々、彼らに生まれた赤子を祝う宴だったようだが、ついでに僕らも歓待してくれるらしい。

宴は夜通し行われるそうだ。女神よ、新しい命に祝福を授けたまえ。


8月23日
昨晩に続いて、彼らとさまざまなことを直に語りあった(なんと、彼らの多くは共通語を理解できた)。排他的とされる彼らが友好的に接してくれたのは、ひとえに賢者と呼ばれるドゥルの紹介があったからだと、ひとりのサハギンが教えてくれた。

話によると、大昔、サハギンは海水や淡水、河や地底湖など、世界各地の水辺で暮らしていたのだそうだ。

しかし、獣人や人間など、さまざまな種族が現れ、水辺に棲みつき始めると、状況は一変した。水が汚されてサハギンのほとんどは病にかかってしまい、それが元で命を落とす者も年々増えていったのだ。

仕方なく、サハギンの多くは大陸を棄て、水の汚れていない辺境の島々に移ったのだという。

僕は彼らに女神のことを尋ねてみた。すると、彼らは女神を知っていると 言い、ずらずらと神の名を挙げ始めた。月の女神。太陽の神。泉の女神。海の神。鯨の女神。鯖の神……。サハギンには、至る所に女神や神がいるらしい。

彼らは間違っている。彼らに女神の素晴らしさを伝えるため、僕は何日かこの地に逗留することを決めた。

すると、リーダヴォクスは「いい、ちょうど。リーダ、ヨアトルの商人に約束ある。3日待て。ジョゼ、ここいろ」とだけ言い残して、岩窟から出ていってしまった。

女神よ、今宵も彼らに勧められるであろう、あの忌まわしき“魔水”から我を守りたまえ。


8月24日
今朝、ドゥルの属するズンロ族の長老が亡くなった。かつて大陸の河口で捕まえた、奇怪な魚を食して以来、ずっと床に臥したままだったそうだ。

ズンロ族の葬儀は、死者を海に流すという簡素なものらしい。海藻でぐるぐる巻きにされた長老に、祈祷師がなにやら唱えながら、砂を振りかけている。サハギンたちは、厳粛に長老の死を悼んでいるようだった。
写真
僕は我知らず、国教会の葬礼に従って、葬送歌「女神よ、旅人を導きたまえ」を口ずさんでいた。

すると、どうだろう。葬儀に参列したサハギンたちが、みな僕を真似て、意味も分からぬまま、葬送歌を口ずさみ始めたのだ。やがて、それは合唱に変わったが、僕は涙で声を詰まらせてしまい、最後まで歌うことができなかった。

ああ、女神よ、異教徒の魂なれど、どうか楽園に導きたまえ。

8月25日
1日かけてサハギンたちに、女神の慈愛、楽園の存在などを説いた。

族長らしき者や祈祷師まで参加し、みな熱心に聞いてくれた。

時々、それは鯨の神の啓示と似ているとか、それは空に浮かんでいた島のことか? とか、本当に理解できたのか不安になるような質問もあったけど、大筋は理解してもらえたようだった。

女神よ、無知なる彼らにお慈悲を。


8月26日
朝、調子はずれの歌声で目が覚めた。

葬送歌だった。通路に出るとドゥルの娘のモォウが廊下の壁にずらりと穿たれたくぼみのひとつに向かって、熱心に拝んでいた。 のぞきこむと、そこに入っていたのは貝殻の頭に海藻の髪を生やした奇怪な像だった。お供え物らしい腐りかけた魚が、その前に置かれていた。

「ジョゼ、すぐここ出る!」

慌ただしく駆けてきたリーダヴォクスが、小さなモォウにぶつかったのは、その時だった。少女はつんのめり、奇妙な像は粉々になってしまった。ふと、彼女が泣きながら、つぶやく声が耳に入った。

「アルナナ壊れた。バチあたるよぉ」

リーダヴォクスは商談に失敗したらしく、何者かに追われていたらしい。

結局、僕たちはドゥルに別れを告げる間もなく、逃げ出すように岩窟を後にするしかなかった。しかし、僕の耳には、まだモォウの言葉が響いていた。リーダヴォクスが用意していた小舟で海に出ると、彼女が歌いだした。

「花のタぁネ、埋めたぁ♪
 芽が出たよぉ♪ 芽が出たよぉ♪
 花畑の中で、芽が出たよぉ♪」

それが、僕に対するあてつけなのか、自分の失敗に対する戒めなのかは、分からなかったが、僕もやけくそになっていっしょに歌った。

女神よ、願わくはサハギンたちが正しき教えを選ばんことを。

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