特集 東方の武器と精神
2.武士道に生きる“侍”

“サムライ(侍)”。それは、東方の武術を会得し、“刀”の道を極めんとする者である。

侍は盾を用いることなく、全神経を“刀”に集中させて戦いに臨む。彼らにとって敵を倒すことこそが、最大の防御だからだ。


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ゆえに彼らは“刀”を己の魂と心得、常に大切にしているという。

彼らが“刀”で最も重視するのは、王国の騎士がロングソードに求めるような強度でもなければ、共和国の銃士がシュレイガーの拵(こしら)えに求めるような美しさでもない。

侍は“刀”の刀身、それもうっすらと刃に浮かぶ紋様“刃紋”に重きを置く。同じ紋様がふたつと存在しない“刃紋”は、それを鍛えた刀匠の素性を伝え、その性能までも推し量る材料となるからだ。

さらに、その鮮烈な美しさは、見る者の心の曇りを払うとさえいわれている。

“刀”を己が魂とする侍は、“武士道”を信条としている、という。ナイトの“騎士道”と同様、名誉・忠義・礼節を尊ぶ武人の道徳だ。ただ、絶体絶命の危機に瀕した際、その違いはもっとも浮き彫りになる。

最後まで諦めない不屈の心が騎士道の美であるならば、末期なればこそ潔くありたいと覚悟を決めるのが武士道の美なのである。

そのように、死にざまに己の人生の真価を集約させる彼らにとって、“刀”とは侍としての覚悟の備えであり、また、自らの生きざまを残す華であるのかもしれない。

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