特集 星座の伝承 〜願い叶えし者篇〜
1.炎の化身イフリート


むかしむかし、さる大陸に君臨していた巨大な帝国に、悪鬼と呼ばれ、味方にすら恐れられた将軍がいました。彼の名はフリート。

数多の戦場に身を置き、無数の敵を葬ってきた猛将でしたが、一方で無謀な作戦や残虐な蛮行でも知られていたため、彼を英雄と呼ぶ者は誰ひとりいませんでした。

しかし、ある時期を境に、彼は野蛮な行為を控え、部下にも配慮を示すようになったため、次第に悪い噂は影を潜めていきました。その背景には、ファルブブという名の、少女の存在がありました。

何年か前にフリートの軍勢が異民族の町を焼き討ちしたとき、燃えさかる民家の前を通りかかった彼は、赤子の泣き声を耳にしました。彼が中に入ると、母親らしき骸の側に麻布に包まれた赤子がいました。のぞき込むと、赤子は泣きやんだばかりか、恐ろしげな姿の彼を見て、満面の笑みで小さな両手を差し伸べたのです。それが、ファルブブでした。

その後、戦役が終わり、帰国した彼は、ファルブブを屋敷に連れ帰ると、使用人の老夫婦に世話を任せました。

それからのフリートは、少女の成長に目を見張ることになりました。快活に育った彼女は、様々な話題に彼を引き込み、時に諌めることすらありました。こうしてフリートは彼女のおかげで、人としての優しさをはぐくませていったのです。

しかし、ある戦役を終え、半年ぶりに帰国の途についたフリートに、悲報がもたらされました。彼の屋敷が焼き討ちされ、焼け跡から老夫婦とファルブブのなきがらが見つかった、というのです。逃亡に失敗して落命した首謀者は、ファルブブが生まれた町、つまりフリートがかつて滅ぼした国の者であることも知らされました。

これが復讐だとしたら、なぜファルブブが犠牲にならねばならないのでしょう?

フリートはこの理不尽を嘆き、かつて無慈悲な行為を犯した自らを問いつめ、呪いました。そして、悩みぬいた末に、ひとつの決意をしました。

“日輪が月に喰われし時、炎の山に亡者集いて、冥界の門を叩かん”

彼は古くから伝えられる一節を頼りに、南の島にあるという火山へと旅立ったのでした。それから数週間、苦難の末、島までたどり着いたフリートは、火山をよじ登って火口の縁に到達すると、そこに座し、時を待つことにしました。

1月か1年か、どれほどの時が過ぎたのか分からなくなった頃、突然、闇が訪れ、その時がきました。火口を見下ろすと、蒼い燐光に包まれたおびただしい数の亡者が列をなし、次々と火口に飛び込んでいたのです。

気がつくと、一部の亡者が列を外れ、彼の方に駆けてきます。その姿は様々でしたが、見覚えがありました。それは彼が殺めた敵兵や民、そして見殺しにした味方兵たちでした。

憎しみの表情を浮かべた彼らは、我先にとフリートに襲いかかりました。自らが犯した罪の深さを知るかつての悪鬼に、その刃をかわすことはできません。彼らがふるった刃は、フリートの皮膚を破り、肉を裂き、ついには炎を発して血を焦がしはじめました。

どれだけの亡者が、彼を傷つけたことでしょう。亡者の憎しみを一身に受け、炎に包まれたフリートは、いつしか頭から2本の太い角が生え、異形の姿に変わり果てていました。
写真
フリートのおぞましい姿に亡者たちが満足し、ついに彼を火口へと引きずり込もうとしたときでした。彼らをかきわけて、ひとりの少女が駆け寄りました。ファルブブでした。

フリートは、己の醜い姿が彼女の瞳に映ることを怖れ、顔を背けようとしました。しかし彼女は炎の中、恐ろしげな姿の彼を見て、満面の笑みで両手を差し伸べたのです。

それははじめて出会ったときと何ひとつ変わらぬ笑顔でした。フリートは彼女を抱きとめると、生涯ではじめて女神に祈りました。

すると、どうでしょう。その願いが通じたのか、ファルブブの身体から燐光が消え、代わりに生気が満ちてきたのです。

フリートは抱きかかえた彼女を安全な岩影にそっと置くと、亡者たちと共に火口の中へと沈んでいきました。泣き叫ぶファルブブに振り向いた顔には、笑みが浮かんでいたということです。

やがて、ファルブブが幸福のうちに天寿をまっとうすると、女神はファルブブとフリートを再会させてやるために、2人を天に招きました。この哀話を伝え聞いた人々は、彼を“イ・フリート(炎のフリート)”と呼ぶようになったということです。

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